👨 リチャード・ウォーレン (1585頃~1628頃)、メイフラワー号乗客の1人。
子孫・ユリシーズ・S・グラント(18代米大統領)
・フランクリン・デラノ・ルーズベルト(32代米大統領)
・サラ・ペイリン(アラスカ州知事)
・サー・チャールズ・タッパー(カナダ首相)
・ジョセフ・ウォーレン(アメリカ建国の父)
・ローラ・インガルス・ワイルダー(「大草原の小さな家」著者)
・アーネストヘミングウェイ
・オーソン・ウェルズ
・エルヴィス・プレスリー
・リチャード・ギア
・グレン・フォード
・テイラー・スウィフト
・LLビーン(LLBean社創設者)
・ジェフリー・ダーマ―(連続殺人犯)
・ジョン・ウェイン・ゲイシー(連続殺人犯) 他多数
1620年9月16日、イギリス、プリマスから新天地アメリカへ向けて102名の入植者を乗せてメイフラワー号は出発した。乗客の3分の1がイギリス国教会宗教弾圧から逃れてきた清教徒(ピューリタン)でした。当時のイングランド王はジェームズ1世。
このピューリタン達はピルグリム・ファーザーズと呼ばれる。
※ピルグリム・ファーザーズ
船上で彼らはキリスト教徒にとって理想的な社会を建設することを意図し「メイフラワー誓約」を作成四十数名の男性が署名した。
11月21日ケープコッド湾に入ったが、本来の目的地を外れた為,湾で越冬することになる。冬の間に病気が発生、生き延びたのは半数の53人となった。
入植者の中心はピルグリム・ファーザーズだが、他ロンドンの商人が手配したバージニア入植地に送り込んだ労働者、使用人、農夫などもいた。
※バージニアカンパニー 国王ジェームズ1世により勅許された(ボルチモア卿)、北アメリカ海岸に植民地を建設する目的の貿易会社。エリザベス1世にちなんでバージニアと名付けられた。1622/3/22聖金曜日にインディアンによりジェームズタウン虐殺が起き、その後会社は解散。
1629年2代目メイフラワー号がロンドンからプリマス植民地に35人(オランダのピューリタン)を届けた。その後、1630、1633、1634、1639大西洋を往復している。1641年140人の入植者を乗せた船 (ジョン・コール船長) は行方不明になっている。
(みはるさん)
メリーランドは王妃ヘンリエッタマリア(仏 ルイ13世の妹)の名前にちなんでいる。そもそもローマカトリック教徒の為の植民地になる予定だったアメリカ、同じ移民のプロテスタントに乗っ取られた。
※ジェームズ1世 1605年11月5日火薬陰謀事件、カトリック教徒らによる暗殺未遂事件。捕らえられたガイ・フォークス(ローマ・カトリック教徒)らは壮絶な公開処刑となる。
※イギリス国教会 反カトリック。大きなくくりではプロテスタントだがピューリタンと違い教会での主教制度を認め、儀式もカトリックな面が強く残る。
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