イングランドによるアイルランドの植民地支配下で行われた政策が「カトリック刑罰法」
アイルランド人の多くはカトリックだった。
”イングランド国教会”に改宗するのを拒んだから刑罰法が作られたなどと言われるが、植民地支配の為の法律なのは一目したらわかるだろう。
※1534年イングランド国教会設立【始まりはヘンリー8世(1491 ~1547)が最初の妃との離婚を教皇に許してもらえなかったからカトリックを辞めたと言われている】、エリザベス1世(ヘンリー8世娘) 、ジェームズ1世の時代に差別が強くなった。
<カトリック刑罰法>
カトリック教徒は…
医師、教師、法律家になれない。軍人、警官になれない。
武器を持ってはいけない、製造販売もできない。
カトリックの新聞、書籍は出版、販売できない。
都市の商工業者はカトリック従業員を雇ってはいけない。
カトリック商工業者は2人以上の従業員を雇ってはいけない。
新たに土地を購入できない。
収入の10分の1をイングランド国教会に納税。
投票権無し。
子どもに教育を受けさせてはだめ。教師をつけてはだめ。海外留学もだめ。
他多々…
この結果、アイルランド人は米国へ安価な労働力として入植していく。年季奉公や危険な汚い仕事に従事した。そして、今もその子孫は貧困層。
蔑んでいい相手を政府や教会、権力側が決めればそれはヘイトではなくなる。
ジェントルマンの利益の為に働かされていた奴隷と年季奉公は肌の色が違っても団結して対抗しようとした。
肌の色で特別意識や差別意識を与えて、黒人を監視させるようにしたら、何の権限も与えずとも分断統治できた。
(Chmaera925 さん 2018.9.26)
アメリカに渡ったカトリックの移民は、主に北東部の都市で、下層労働者として働く。警察官や消防士など肉体を酷使する職業にも積極的に就くようになる。そうしているうちに、存在感を持つようになった。そしてやがて選挙権を持つようになる。彼らは熱心な民主党支持者となっていく。こうして、アイルランド系移民は政治の世界で大きな発言力を持つようになり「カトリックは大統領にはなれない」と言われてきたアメリカでジョン・F・ケネディが大統領となる(曾祖父がアイルランドからの移民でカトリック信者)
バイデンもアイルランド系のカトリック。
(玉木俊明ブログ 2021.12.18)
※アイルランド島 → 北アイルランド(イギリス)とアイルランド共和国(独立国)
※1845~1849年飢饉(ジャガイモ疫病)
1845年から数年で、100~150万人が死亡。多くの人たちがアメリカへ移住しアイルランド人口は急減する。1840年代アイルランドを脱出した人は100~120万人と言われている。
※アイルランドの国旗
フランスの国旗を手本とした、緑、白、橙の縦三色旗。緑はカトリック教徒のケルト系住民を、オレンジはプロテスタント教徒のイングランド系住民を、白は両者の調和と協調を表す。1922年アイルランド自由国の国旗として採用され、1937年新憲法施行でエール共和国と改称した際、国旗として定められた。
橙色→オランダのオラニエ=ナッサウ家のイングランド王ウィリアム3世の従者であった少数派のプロテスタントを象徴
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